青森は最高だ!~離婚とインターネット起業とメディエンス設立について(編集長自己紹介パート4)
恥も外聞もなく、編集長の今までを赤裸々に書いていくコラムも第4回目となりました。前の3回はこの記事の一番下にリンクがありますので、気になる方はそちらからどうぞ!
さて、第4回目は再びのハプニングについてお話していきましょう。
再びサラリーマンとなった私は、昼は会社員、夜と休日は家族と共にクリーニング屋の運営・管理を行っていたのですが、その時に同じ会社に勤務する女性と性懲りもなく恋に落ちてしまい、交際1年弱で結婚することになりました。
すでに自分としてはバツイチで、「結婚に向いていないかも?」と思っていることもあり、「籍を入れるのはお互いよく知ってからの方がいいよ」と話していたのですが、相手先のご両親が籍を入れないと一緒に住むことを認めないということで、押し切られた形で先に籍を入れた訳です。
そして、結婚式をハワイで挙げて、新婚生活をする予定がなんとハワイの結婚式前夜に大げんかしてしまったことが発端で、結局1ヵ月ほどで破局となってしまい、速攻でバツ2に突入するということになりました。
若干30歳で結婚2回も失敗するなんて、まったく想像もしないし、親にはあきれられるは、友達には「お祝い返せ!」と言われるはと散々な状況に陥りました。また、その顛末の詳しいことを知りたい人は個人的に飲んだ時にでも聞いてください(笑)
結婚はダメになったのですが、逆にクリーニング店は順調だったので事業を丸ごとレンタルすることが出来、再び休日にやることがなくなってしまいました。
そこで新しい事業を行うことにしました。再度、会社員になった時からインターネットについて勉強しており、それを利用して何か出来ないものかと考えていました。
そこで、色々とインターネットを使ったサービスについて調べて、自分の結婚ダメダメの経験から「離婚者専用出会い系サイトを作るのが良いでは?」と判断し、友人と共に制作を開始しました。その当時はまだ出会い系サイトも少なく、極めて真面目な感じでした。
そして、半年の制作期間を経て、日本初のバツイチ専用出会いサイト「ドリームアゲイン」を立ち上げました。
日本で初めての試みですから、TV局の取材が来たりと最初はなかなか面白い感じでしたが、徐々に会員数が増えてくるに従い、トラブルも増えてくるようになり、このような出会い系サービスというのは運営が難しいなと感じた次第です。(3年ほどで止めることになりました)
ドリームアゲインを制作してから1年後、今度は今までの制作技術を駆使して、自分の専門である製薬企業のMR職のためのポータルサイト「MR-NET」を作ることにしました。それは自分の仕事をスムーズに行うために作ったのですが、それを見た多くのMR友人達が使わせてくれということでクチコミで広がっていきました。
この2つのサイトをよなよな制作管理しているうちにWEB制作や運営についての知識をどんどん身につけていったという訳です。
その当時はいきつけのBarにもノートパソコンを持ち込んで仕事していたので、今でもその当時をおぼえている友達は「飲みに来て、遊びながら仕事しているのは後にも先にも池ちゃんだけだよな」と話しています。
そんなインターネットに没頭している中で、ある日、産婦人科医院の院長に相談があるということで訪問をしました。院長曰く、「これからインターネットが情報発信に必要になるというニュースを見たが、どうすればいいのか教えて欲しい」というご要望でした。
パソコンの使い方、購入方法、ホームページの必要性、インターネットの将来性などをお伝えししたところ、ホームページ制作の依頼を受けることになったのです。
「池上君、個人に発注する訳にいかないので、法人をつくりなさい。そうすれば、今後もこの新しい仕事をしやすくなると思う」とアドバイスを頂き、作った会社が株式会社メディエンスとなります。それがちょうど20年前の話になります。
しばらくは二足のわらじを履いて、多忙の日々を過ごしていましたが、勤務している会社が合併するということで、独立し、自分の作った会社の代表となりました。
会社設立後の話は次回に~。
パート1
青森は最高だ!~青森に関わることになったきっかけとは?(編集長自己紹介パート1)
パート2
青森は最高だ!~青森ですべてを失ってひきこもりへ(編集長自己紹介パート2)
パート3
青森は最高だ!~サラリーマン+家族との起業について(編集長自己紹介パート3)