青森は最高だ!~サラリーマン+家族との起業について(編集長自己紹介パート3)

最終更新日:2020年6月3日

離婚、病気、ひきこもりから無事脱出することの出来た池上ですが、会社員に戻る時に決めていたことがあります。それは複数の収入が入ってくる仕組みを作っておかないと、会社と意見が合わなかった時にすぐ辞める決断が出来ないという教訓から、家族と一緒に事業を興そうということでした。

 

もちろん、起業について経験はないので、色々と模索して家族(両親・妹)と日々話し合っていました。

 

まず、小さいながら自分の拠点を作ろうということになり、実家近くの家を購入しました。その家を買うにあたり、2つのことを考えました。1階の駐車場のエリアを店舗にして貸すこと。もう1つはインターネットを引いて、インターネットについて勉強をすることです。

 

1階の店舗は募集しようとしていたら、母親が突然カミングアウトし、「一度、どうしても得意な料理で居酒屋をやってみたかったので私に貸してほしい」とのことでした。母親に言われたら貸さない訳にいかないので、無償で貸して、一緒に設計し、新規開業の手伝いをし、会社員の仕事が終わったら手伝っていました。

 

土日は自分達で居酒屋経営し、平日は母親の友人でヨガ教室を主宰している先生が居酒屋やりたいので貸してほしいということで、2店主体制で運営していました。そのヨガの先生というのが、今のブラックマヨネーズ@小杉(通称 竜ちゃん)のお母さんです。

 

竜ちゃんもまだNSCを出たところで、芸能の仕事はほとんどなく、バイト生活の日々でした。この時期はよく晩御飯を一緒に食べた懐かしい記憶があります。

 

 

しかし、1年ほど経過したある日、居酒屋事業は突然、中止ということになりました。私の妹が妊娠し、それを母がサポートしたいということと、小杉先生も居酒屋ママをやってみて満足したということで、全日で貸すことにしました。すぐに借り手も見つかり、不動産オーナーとしての収益がここで確保されました。

 

結果オーライなのですが、居酒屋を貸してしまって、やることがなくなり、手持ち無沙汰になってしまいました。そんな時に母が「こんな素晴らしい土地物件があったけど、どうする?」と駅前の一等地の空き地を見つけてきました。

 

父親が借金し、自分が保証人につけば買えるということで、その当時としては非常に高い買い物でしたが、家族みんなで決めて購入しました。ここも前回同様、3階建てで1階を店舗物件、2階・3階を両親の住まいとする形です。

 

1階の店舗はお店をしたい人に貸せば、ローン返済にあてられるので期待したのですが、その時期は不景気だったので、誰も借り手がいませんでした。

 

そこで再び、母と自分の二人でお金を出し合って、クリーニングの取次店を行うことになりました。クリーニング取次店は先払いで仕入れがない。初期投資費用がほとんどいらないというメリットがあり、取り組んだのですが、それが大当たりしました。

 

お昼の12時までに出してもらえれば、その日の18時には仕上がってくる。Yシャツが100円、スーツ上下で500円と早い安いというのが評価されたのだと思います。

 

我々は少しでも服を長持ちさせてもらえるように、各素材の保存の仕方の説明書を作ったり、Yシャツはボタンが取れているのを全部付け替えることもしていました。

 

そんな工夫も功を奏して、1年弱で地域一番店になりました。こうやってビジネスがうまくいくと良い借り手が出てくるのです。この部分はとても勉強になりました。

 

自分達で3年余り経営し、その後はフランチャイズの親会社が借りてくれることになりました。ここも家賃収入として安定的に入ってくることとなったのです。

 

しかし、ビジネスがうまくいっているこの時期にまたまた私はやらかしてしまい、深い痛手を受けることとなります。その話は次回に~。

 

パート1 

青森は最高だ!~青森に関わることになったきっかけとは?(編集長自己紹介パート1)

 

パート2

青森は最高だ!~青森ですべてを失ってひきこもりへ(編集長自己紹介パート2)

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執筆者
池上文尋

池上文尋

北里大学獣医学部 動物資源科学科卒 
大学時代、現在、人に使われている生殖医療の基本技術を学ぶ。
卒業後、外資系製薬企業に所属し、12年間、製薬企業のマーケティングスタッフとして勤務する。(ノバルティス・メルクセローノ・ファイザー)

特にセローノでは不妊治療に使うホルモン剤を中心に扱っていたので、不妊治療に関わる先生方と深く関わることになった。

2000年7月に株式会社メディエンスを設立、日本全国の産婦人科クリニックや病院の広報やブランディングをサポートする事業を開始。また、製薬企業向けのポータルサイトを制作、製薬企業のスタッフ教育に関わる。

不妊治療に造詣が深く、妊娠力向上委員会、胚培養士ドットコム、日刊妊娠塾という不妊治療関係のネットメディアを運営している。また、不妊治療関係の企業へのコンテンツ提供を行っている。

2002年より、オールアバウトの不妊治療ガイドとして16年間執筆・編集に従事。その他にも不妊に関する多くの著書、映画、調査などのアドバイザーとして関わる。

不妊治療の取材で訪れたクリニックや病院、関係施設は300を超え、日本で最も不妊関係の取材を行っている一人である。現在もその姿勢は変わらない。

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