吉岡リサさん(歌手・音楽歌セラピスト)インタビュー!

最終更新日:2020年6月3日
歌手
吉岡 リサ
さん

1997年:

カンツォーネ・コンコルソ本選会上位入賞をきっかけにライブ活動を開始。

 

1998年:

毎年のコンサートは、ジャンルを越えてカンツォーネ、シャンソン、スタンダードジャズ・ポップス、演歌など幅広く挑戦している。

 

2002年:

東北新幹線八戸駅開業の記念イメージソングの歌い手に抜擢され、青森県を中心にテレビ・ラジオ出演。新聞、各雑誌に掲載されている。また、米国留学、病気克服など波乱な人生を高校生対象に「歌とトーク」と題して講演活動もしている 11月26日ファーストアルバムPrimo(プリーモ)「愛を抱(いだ)いて」発売。12月、東北新幹線八戸駅開業記念キャンペーン活動などの功績で「八戸特派大使」に任命を受ける。

 

2003年:

1月22日東北新幹線八戸駅開業記念イメージソング「北の街へ~四季あおもり~」(JR東日本企画認可)発売八戸テレビ放送、青森放送テレビ・ラジオ、B-FMラジオ、田子ケーブルテレビなど出演。その他、「北の街へ~四季あおもり~」発売記念コンサート、静岡県天城劇場みどりのコンサート、青森県立田子高校「歌とトーク」、第13回日本バーテンダー協会東北大会ゲスト、2003年八戸広域ふるさとフェスタ、バラエティーSKD共演他、多数出演。

 

Discography:

2002年11月26日ファーストアルバム「愛を抱(いだ)いて」リリース

 

2003年1月22日「東北新幹線八戸駅開業」記念イメージソングテープ「北の街へ~四季あおもり」(JR東日本企画認可)発売

 

2005年2月27日八甲田トンネル貫通式祝賀会にて「八甲田ストーリー」発売(日本初、女性がトンネルの中でミニコンサート)

 

2012年3.11東日本大震災復興応援歌「幸せの住む場所」

このたびは八戸ご出身の歌手でもあり、音楽療法に力を入れておられる吉岡リサさんにインタビューをさせて頂きました。吉岡さんとは東京北千住にある青森居酒屋「ごっつり」さんのイベントで何度かお目にかかり、とても明るくて活動的な方だなと拝見しておりました。

 

今回は音楽療法の面からもお話を伺いたいと思い、インタビューをお願いしたところ、ご快諾頂いた次第です。

 

八戸特派大使や初代青森ホタテ大使、八戸前沖さば大使もされている吉岡さんのお話、ぜひご覧くださいね。

 

歌手という仕事は特殊だと思いますが、始められたきっかけについて教えてください。

私はがんサバイバーです。病院に入院していた時に天井を見ながら、このままではいけないと思い、本当に自分に向いている仕事やお役に立てる仕事があるのではないかと考え、色々なセミナーを受けるようになりました。

 

歌うようになったのは、たまたま友達に誘われて訪れた赤坂のカラオケ屋で歌った時に、他のテーブルの方からアンコールがかかり「もしかしたら、私はこの世界なのかもしれない」と、美しい勘違いをしてカラオケ教室に通い始めたのがきっかけです。

 

通っていた教室の先生は、日本大学のご出身で声楽家だったのですが、「コンテストが今度あるので、参加してみてはどうですか」と声をかけられました。そうして、3か月後には大会に参加して全国ベスト10に入り、銀座のライブハウスから声をかけられて、歌手としての活動を始めました。

 

当時はまだOLも続けていたのですが、プロジェクトがあると休むこともあったので、それが他の社員からするとひいきに見えたようです。そこには在籍しにくくなったので、次の外資系の会社へ転職することにしました。

 

その会社でもいじめにあい、それでも頑張って通勤していたのですが、ある日、通勤電車で急に目の前が真っ暗になって吐き気がし、電車を降りてホームでしばらく座っていたということがありました。その日はお休みしましたが、気のせいだとやり過ごしていたところ、1か月後にまた、同じような状態になってしまったことで、私には二足の草鞋は履けないと感じ、OL生活に終止符を打つことにしました。

 

OLを辞めた年、偶然にも東北新幹線八戸開業の時期と重なり、地元の作曲家がPRのために作ったイメージソングの中の一曲を歌ってみませんか、と声がかかりました。

 

でも、よく聞いてみると演歌だったので歌えないとお断りしたところ、1か月後、ポップなものに作り替えましたという連絡をいただいたので、歌わせていただくことになりました。

 

やがて、八戸市観光課や商工会議所にも認められるようになり、東京駅や有楽町、横浜、八戸でもキャンペーンのために歌う機会が増え、八戸特派大使にも任命されました。

 

初代 青森ほたて大使を務めておられますが、具体的にはどのようなお仕事をされていたのでしょうか。 

初代から青森ほたて大使を務めており、今も継続しております。それは私がイカ釣り漁船の親方の娘で、漁業に理解があることが関係していると思います。私の生まれは六ヶ所村ですが、そこでは漁業組合関係のお祭りが開催されます。何度か訪れ14年前に訪れた時、声をかけられてつながりができたことがきっかけで、初代 青森ほたて大使をさせていただくことになりました。その活動から八戸前沖さば大使へとつながりました。

 

音楽療法に携わるようになったきっかけについて教えてください。

かつて、セミナーを受講していた時にある方と知り合ったのですが、その方が墨田区の高齢者福祉課のお仕事をされていた際に、みんなで歌を歌いましょうという活動に取り組まれました。最初は、セカンドライフに入った方たちが、自分たちで歌声喫茶のようなものを始めていましたが、そこで私に声がかかったのです。

 

その活動に参加したのは2005年で、段々と評判になり当初は100人だった参加者が、今では200人にまで増えました。その活動では、体を動かしてから歌った方が良いですよと言ったアドバイスもしています。

 

実は、墨田区福祉課の課長さんが変わったタイミングで一度、他の人でお願いしたいと肩叩きにあったことがあります。私はすんなり受け入れたのですが、3か月も経たないうちに役所の方から戻ってきて欲しいと連絡がありました。

 

どうしてですかと聞いたところ、吉岡さんでなければというクレームがきたそうです。

 

その他、墨田区以外に渋谷区でも活動を行っています。また、長崎のある病院でも音楽療法のため伺って活動をしています。

 

音楽療法で感じられている、音楽の持つ力について教えてください。

なかなか言葉では説明し難いところがあるのですが、例えば、音楽を聴いて元気が出る、昔、こういう音楽を聴いていたよねと思いだして、ふっとタイムスリップする瞬間があるなど、忘れていたことを思い出すという点では認知症予防になります。

 

また、私たちは普通に喋っている時にはすごく小さい呼吸ですが、歌を歌うとロングトーンにもなりますし、高い声も出すことになるので、そこがメンタル面や医学的な部分につながっていきます。

 

私の音楽療法が他の人と違うところは、徐々に体を慣らしながら歌い、気がついたらあぁ楽しかった、元気になったという感じに持っていくところですね。人によっては、さぁいきなり歌いましょうという場合もありますが、それは良くないと感じています。

 

それは例えば、プロ野球選手やサッカー選手がいきなりボールを投げたり蹴ったりしないのと同じで、歌も少しずつ呼吸法を慣らしながらストレッチをしていくことが必要だからです。

 

音楽療法を行う場合は、学生時代の思い出を話題にすることがあるのですが、かつて、思い出がないという方がいらっしゃいました。どうしてと聞いてみたところ、当時は戦争中だったと。戦争中のことを思い出したくない方もいるので「ごめんなさい」で終わるのではなく「辛かったですよね」と、その方の思い出に寄り添いながら話をすることで、メンタル面を加味した音楽療法につなげることができます。

 

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歌うことで、カロリー消費も期待できるのでしょうか。 

そうですね。呼吸が深くなることで血流や脈拍が良くなるというデータが、書籍にもなっています。

 

私は、日本音楽医療研究会に所属しています。研究会自体は小さいですが、そこではしっかりした臨床データを見つけましょうという姿勢で取り組んでいます。

 

もう一つ、日本音楽療法学会というところにも所属していますが、そこは会員数が多いもののデータとしての蓄積は少ないですね。

 

どちらも音楽療法を国家資格にするために活動を行なっていますが、日本はなかなか難しい面があります。欧米であれば、ある程度の地位が確保されいてる一方で、日本ではカラオケが先に流行してしまったのが関係していると思います。日本人全員がカラオケ歌手のような感じで、適当に歌っていればそれで良いという世間のイメージがあります。

 

でも、そうではなく、もう少し心理的な部分や医学的な効果を勉強することで、全く違う効果が得られるということを示すために研究会で活動をしています。脳波も全く変わってきますしね。

 

このような活動は、若い人も含めてもっと知って欲しいですよね。 

若い方々にも広めたいのですが、音楽療法を仕事に結びつけるには位置づけという意味で問題があるようです。私自身も、音楽療法以外にライブや各種イベントを並行しながら取り組んでいるので、音楽療法だけで食べていくのは非常に難しいと思います。

 

メディアでも取り上げられる機会があるのですが、やはり、日本のカラオケ文化が影響していると思います。

 

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新型コロナウイルスの影響で、歌手やアーティストの方々の活動がストップしていますが、どのような影響を感じられていますか。 

今年の2月末から全く仕事がなく、無収入になりました。

コロナの影響で、今後は音楽のあり方自体が変わっていくと思います。すでに、オンラインやネット配信などが増えてきていますが、そう考えると、これまで私が行なってきたようなライブやコンサートは開催が危ぶまれます。今年は、多分無理でしょう。

 

そのような状況なので、私は今、住んでいるマンションを売ることにしました。芸能界の方はローンを組めません。私の場合は、銀行以外のところを通じて利子が高いローンを組んでいるためコストがより多くかかっています。コロナがなければそれでも良かったのですが、仕事がないのでここを売り、そのお金で田舎に家を購入する予定です。

 

これまで、20才でアメリカへ行き、その後は東京に住むという生活をしていましたが。長い旅をしてきたからこそ、これからは故郷にお役に立てるような活動をしていきたいですね。

 

今後、取り組んでいきたいことやビジョンがあれば教えてください。 

私は、かねてより、皆さんでお茶を飲みながらおしゃべりや情報交換をして、歌ったりできるサロンを作りたいと思っていました。

 

しかし、こういう状況なので、ビジョンを変えなくてはいけないですよね。ただ、まだそれについては描ききれていないので模索中の段階です。

 

青森県民の方々に、メッセージをお願いします。 

「健康のために一緒に歌いましょう」ということですね。

歌というのは五感を刺激します。見る、話す、聞く、触る、匂い、そういったことが全て歌につながっています。

 

墨田区や渋谷区での活動では、実際に私が着ているドレスやイヤリングを触ってもらうこともしています。スパンコールなど近くで見ると違って見えますし、触って違いをわかってもらう。それは、普通に生活をしているとなかなか出来ないことなので、それも私の一つの得意分野かなと思っています。

 

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<まとめ>

吉岡さんが来るとその場がパッと明るくなるのを見ていたので、すごい才能だなと思っていました。人を元気にする力を素の状態で持っている方なのだと思います。

 

吉岡さんのキャラクターと音楽の力の合わせ技で多くの方を癒し、元気にされていることが今回の取材でよくわかりました。

 

また、文章だけでは分からない部分もあると思いますので、ぜひ動画とかでもご紹介出来るようにしたいと思っております。

 

吉岡さん、楽しい取材ありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 

関連サイト:オフィス・リサ

 

インタビュー:池上文尋

 

 

 

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