無医村であった佐井村にクリニックを私費で設立した理由とは?~大竹整形外科医院院長 大竹 進先生インタビュー!

最終更新日:2020年6月25日
大竹整形外科
院長
大竹進

大竹進先生 ご略歴

 

整形外科医

1976年弘前大学医学部卒業 

1986年岩木病院整形外科医長整形外科と筋ジストロフィー担当。

1998年青森市浪岡に大竹整形外科開業。

2019年佐井村にさいクリニック開業。

このたび、青森市浪岡で整形外科クリニックを運営する院長でありながら、佐井村に私費を投じて、クリニックを設立し、自らも診療に通われている大竹先生にインタビューをさせて頂きました。

 

なぜ先生が佐井村に診療所を作ることになったのか、長い間、無医村だった佐井村の状況はどうなっているのか、などなど、気になる質問を色々と伺ってまいりました。

 

ぜひご覧ください!

ドクターになられたきっかけについて教えてください。

中学生の頃、脳外科医を題材としたテレビドラマがあり、それに憧れたのが一つですね。大学受験では優秀な同級生は工学部へ進学しましたが、私は医学部を選びました。

 

なぜ、整形外科医を選んだのでしょうか。

学生時代は水俣病・イタイイタイ病のような公害に興味があり、論文を探しに公衆衛生学教室に出入りをしていました。それもあり、将来はその道に進んでも良いと考えていましたね。

 

また当時は、札幌医大が心臓移植を行なっていた時代でしたが、そこのお弟子さんたちが帯広病院へ来て心臓の手術をしていました。私はそこへ実習に行き、実際に人工心肺をまわして手術している様子などを目の当たりにしたこともあって、そちらの道に憧れたこともあります。

 

色々なことに興味がありましたが、公衆衛生に取り組んでいたことも関係し、技術と社会的なアプローチ、どちらもできる方法を考えていました。そして、障がいのある子供たちの医療をしながら手術もできる整形外科に魅力を感じ、整形外科の教授にお願いをしに行ったという経緯があります。

 

さいクリニックに力を入れるようになられたきっかけについてお聞かせください。 

私は青森県社会保障推進協議会という、社会保障について様々な取り組みをしている団体の会長もしています。その団体は自治体キャラバンと称し、医療や介護保険についての情報交換、地域の社会保障について議論するというイベントを毎年行なっていました。

 

しかし、佐井村ではで「そんなことよりも医者がいなくて困っているのだから、とにかく医者を連れて来てほしい」といわれました。私の中にはそういう意識は全くなかったので、これを機会に佐井村に対して何か貢献できることはないだろうかと考えたのが最初のきっかけです。

 

その後、東日本大震災が起こり、壊滅的な被災地を支援していました。支援場所は体育館などの施設です。そのような時に、青森県の温泉はお客さんが来なくて大変という話を耳にするようになりました。

 

そこで、観光庁がお金を出して、被災地の方々を青森県の温泉に呼んでゆっくりしてもらおうという「ほっと一息プロジェクト」を始めることになったのです。

プロジェクトが始まり、陸前高田市から来られた方が「陸前高田から、高校も病院も無くなってしまうかもしれない」とつぶやきました。これを聞いてすごく衝撃を受けたことを覚えています。

 

実際、陸前高田市に一人だけいた整形外科の先生が津波で流され、亡くなられ大変困っているということがわかりました。

 

青森市浪岡は陸前高田市と規模的には同じですので、整形外科医が一人もいないのはどういう状況なのか容易に想像がつきます。私も何とかしなくてはいけないと思い、週末は陸前高田へも行きましたし、そこに診療所を作ってしまおうと考えるようにもなりました。

 

しかし、だんだんと全国から支援が入って再建していく中で、私が行く必要がないと感じた時、では佐井村で診療所を作ることも簡単だという発想で、村長と相談を始めたのがきっかけです。

 

 

佐井村は2008年から無医村だと思いますが、今はどのような状況でしょうか?

私が診療に行くことで少しでも元気になってもらい、相談できる環境になれば良いと考えています。ドクターがいることで、介護や保健に関わる人たちのモチベーションも上がっていけばいいですよね。

 

佐井村には、どのような疾患が多いのでしょうか。 

整形外科に関して言うと、高齢者の膝や腰、肩の痛みですね。そのほか、腱鞘炎の方も多く来院されます。そこに整形外科医が診断、治療することで痛みが良くなるケースも珍しくありません。

 

これは現地へ行ってみてわかったことですが、手術をすると良くなる人も、手術を受けずに薬だけ飲んでいる患者さんが結構いました。そのため、私が手術を提案して病院を紹介した方もいます。

 

実際に手術をするとなると、青森市内になるのでしょうか。 

手術を希望する人には、むつ病院、青森市内の病院を紹介しています。佐井村の方は札幌まで手術を受けに行っているひともいますし、首都圏の場合もあります。

 

月に一回、佐井村へ行かれることに対して住民の方々の反応はいかがでしょうか。

こちらでは普通に毎日、診療をしているだけなのですが、佐井村へ行くと皆さん喜んでいただけますし、感謝されるので私も嬉しいですね。待っていてくれたのだと感じています。

 

青森県の知事選に出馬されたことがあるそうですが、その時の思いなどお聞かせいただけますでしょうか。

知事選で訴えたことは色々とあるのですが、医療や介護、社会保障を充実させたいという思いが一番ですね。だから、その時の公約には無医村解消という公約が入っています。

 

当時、青森県で無医村のところは2箇所あり、そのうち無医地区で無医村は佐井村だけでした。公約で無医村を解消すると訴えたわけなので、たとえ落ちたとしても実現させなければいけないと周りからも言われましたし、私もそう思って準備をしてきました。

 

青森県の医療を取り巻く状況について教えてください。 

皆さん、大変苦労されていることが痛いほど良くわかりますし、それに対して、私たちがどれくらい社会貢献できるのかという点が問われているのだと思います。

 

無医地区では、自治体が診療所を作り、医者を呼ぶパターンが多いと思うのですが、私はそれでは成功しないと感じています。

 

村が診療所を建てることはリスクですし、医者が集まらないと困ります。そこで、私は村長に対してリスクを自分が背負うので協力して欲しいと申し出ました。

 

佐井村モデルになるのかわかりませんが、私が自分で投資をして診療所を建て、医療機器も手配しました。そして、私が死んだ時には村へプレゼントする形になっています。

 

これが成功するかどうかはわかりませんが、ぜひチャレンジしてみたいですし、全国の整形外科医に手伝いに来てもらえないかという呼びかけをずっとしています。これが実現すれば、無医村解消の新しいモデルになるのではないでしょうか。

 

ドクターへの声かけですが、実は関西の整形外科医の先生方に会う機会があったので呼びかけたところ、一年に一回くらいなら来ても良いという方が既に10人ほどリストアップされています。月に一回でも来てもらえるようになれば、10コマ埋まることになりますので、そういった形での継続を目指していきたいですね。

 

なぜ関西かという話ですが、江戸時代から北前船で栄えた佐井村は関西の文化が流れているのです。お薬が手元に残っているので、今日は何日分で良いという勿体無い精神の方も多く、経済も関西圏の考え方なのだと思います。

 

これらのプロジェクトは日経新聞が記事化し、報道してくれたことで融資も受けやすくなりました。関西圏でも番組として取り扱ってもらえたなら、ドクターに来てもらうチャンスはもっと増えると思います。

 

blank

佐井クリニックへ行くまでに片道4時間ほどかかりますが、スタッフの方はどのようにお感じになられているのでしょうか。

院長が強引に押し切っているという印象はあるかもしれないですね。ただ、これまでは週の勤務時間が40時間だったところ、プロジェクトを始めるにあたり36時間勤務にして、今では週32時間としています。それに加えて土日のどこか1日だけ新たな勤務についてもらうという形にしたので、結果的には既存の給料に佐井村の分をプラスしているという感じで納得してもらっています。

 

今後のビジョンについてお聞かせください。 

佐井村に焦点を絞ったもう一つの理由は、全ての家庭に光回線が入っていることです。アメリカの医療システムのようにしたいわけではないのですが、皆さんが健康管理をしていく時に光回線を使うことができます。で、体重計や血圧計から毎日、データを保健師さんに送ることで、安否確認にもなりますし、ひとり暮らしで亡くなってしまうケースを防ぐことにつながると考えています。

 

なので、次のステップとしては、光回線を使ったマネジドケアや包括ケアではないでしょうか。

 

これを1万人の街でしようとすると多様な意見があって難しいのですが、佐井村のように2千人程度のコミュニティであれば実現できる可能性があります。そういう提案もしていきたいですね。

 

また、今はコロナの関係で遠隔診療や電話での再診がOKになったので、東京の先生が佐井村の患者さんを診ることができますし、服薬指導も遠隔でできるということは大きなメリットになると思います。

 

読者の皆さんへのメッセージをお願いいたします。 

青森県は本当に全国的にみても深刻な医師不足ですが、県民の皆さんはよくわかっていない部分もあるのだと感じています。特に、大学病院や弘前にたくさん医師がいると思われていて、それを上手く利用するべきという発想になっています。

 

ところが、私が大学病院の医師数を調べたところ、昨年はワースト2、今年はワースト3だとわかりました。つまり、弘前大学の医師数も足りないのです。

まずは、これらのことを理解してもらいたいですね。

 

福島県いわき市には、医療を守る条例があります。それは、福島の原発事故をきっかけにいわき市に人口が集中し、医療崩壊寸前の状態だった時、行政の責務と市民の責務、そして医療関係者の責務を条例で決め、これをお互いに理解しながら医療を守っていきましょうと決めたことに始まります。

 

私は、医師不足が深刻な地域医療を守るには、この条例が必要だと思っています。3者が協力し、理解し合うことが絶対的に必要です。だから、このことを青森県でも佐井村でも、実現できたら良いと思っています。

 

そして、3者に加えて4者目はマスコミだと考えています。マスコミが医療についてきちんとした情報を発信してくれないとと叩き合いになってしまいますし、マスコミにはマスコミとしての責務を果たしてもらいたいですね。

 

4者が一丸となって医療を守っていくことが大切ではないでしょうか。

 

今回、コロナがどのようなことを教えてくれたのかというと、下北半島の医療機関ではスタッフが一人でも感染したら一発で医療は崩壊するということです。東京であれば、感染者が出た場合は救急も外来もやめてリセットすれば良いのですが、こちらではストップすると医療崩壊につながります。

 

地元の人たちはそれを切に感じていますし、一人でも患者を出してはいけないというプレッシャーの中で行動しているはずです。これらのことは、下北半島から発信していくべきですよね。

 

また、佐井には光回線があり、尚且つ、昔ながらの人間関係もあります。そういう意味では、コロナは佐井村にとってマイナスとプラスの部分をもたらしてくれました。

 

これからは、佐井村が輝くようバックアップしていきたいですね。

 

 

まとめ

大竹先生のインタビューはいかがだったでしょうか?

私自身、先生とお話していて、大きな安心感と希望を感じた取材となりました。

 

通常であれば行政が率先して行うべき案件をドクターがリーダーシップを発揮して、地域医療を守っていくという姿勢は広く知られるべきだと思いますし、多くの方の共感と共鳴を生みだしていくと感じております。

 

私も仕事柄、離島やへき地医療に関わることが多いのですが、今回のケースは日本の中でもモデルケースとなる事案だと思いました。

 

私自身、大変勉強になりましたし、多くの方に知って頂きたいと思うので、これからも継続して、先生の話題を取り上げていきたいと思います。

 

最後に診療後のお疲れのところ、インタビューに快く応じて頂きました大竹先生にこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 

 

関連サイト

 

大竹整形外科

http://www.otake-ortho.com/

 

青森の無医村にできた「月イチ診療所」 診察は土日に

https://www.asahi.com/articles/ASM4F517PM4FUBNB009.html

 

無医村に広がる安心/さいクリニック開業1

https://www.toonippo.co.jp/articles/-/340755

  • この記事に関するご感想・ご意見・お問い合わせなどがございましたら、ぜひご記入ください。ご記入頂いた皆様の中から毎月10名の方に編集部よりお楽しみプレゼントを送らせて頂きます。
blank