東京と青森の二拠点でキャリアサポート~小笠原咲絵氏インタビュー

最終更新日:2022年2月3日

プロフィール

小笠原咲絵(おがさわらさきえ)/ 1986年、東北町生まれ。
中央大学卒業後、株式会社リクルートHRマーケティング(現 株式会社リクルート)入社。以来、東京・仙台・富山・新潟・宇都宮と異動し、求人広告の企画営業・マネジメントに携わる。
2016年4月 株式会社リクルートキャリアへ転籍し、宮城県気仙沼市における企業採用支援プロジェクトや、NPO・NGOの採用支援プロジェクトの運営・企画を経験。育児休業中に母の病気が判明し、息子とともにUターン。現在、東京-青森での二拠点生活を送りながら、フリーランスで県内企業の社外人事コンサルタントとして活動中。

今回のめんこい日記はタナカミカさんにご紹介頂きました小笠原咲絵さんにインタビューをさせて頂きました。小笠原さんは現在、青森の上北に在住で、様々な青森の社会課題解決型のソーシャルビジネスやイベントのサポートをされています。

 

以前、取材をさせて頂いた久慈さんやタナカさんもそうでしたが、やはりママさんが青森の元気を支えておられるような気がします。

 

そこで、今回の取材ではなぜ今、このような働き方や取り組みをされているのかを詳しく聴いてまいりました。

 

ぜひ、ご覧くださいね。

 

大学ではどのような勉強・経験をされていたのでしょうか。

大学では、国際開発や国際交流を勉強する学科に入って、ペルシャ語を勉強したりスリランカに行ったり、そういうことに興味がありました。大学一年生の後期から二年生にかけて、スリランカに行って一ヶ月くらい向こうで過ごすプログラムに参加したのですが、スリランカではすごく山奥の村にホームステイさせてもらいました。

 

相手の人たちにとっては、初めて会う外国人が私たちみたいな感じだったので、すごく歓迎してもらいました。

 

電気ガス水道は、もちろんありません。現地の人たちと村の真ん中まで車が入ってこられるように道路を作るために土を掘り、土のうを頭に積んで運ぶという肉体作業をするなど、本当に一緒になって汗をかいて作業していました。それも含めていろんな人に会いましたね。

 

最後に自分の学びを発表する機会があったのですが、その時に私は「スリランカの人は、経済的にどこか貧しくてかわいそうという思い込みがあったが、東京で暮らす人よりも幸せそうだし、物質的な豊かさはそれほど人を幸せにしてはいないのではないか。」と発表し、青森の暮らしとスリランカの暮らしは、人との関わりが濃いという意味で結構似ているなと思いました。

 

大学卒業後はリクルートにいらっしゃいましたが、そこではどのような仕事をされていたのでしょうか。 

スリランカから帰国後は海外のためでなく、地元・地方のためにできる仕事に取り組みたいという気持ちに変化していました。かつて、青森の人間関係に煩わしさを感じていたものの、人間関係が濃い環境で育ったから自分があるのだと感じ、いつか青森に恩返しできたら良いなと思っていました。

 

ただ、卒業後すぐに青森に帰っても何が出来る訳でもないと分かっていたので、リクルートに入ってビジネスを学ぼうという気持ちで入社しました。

 

リクルートでは、求人広告の営業や企画を行っていました。タウンワークやリクナビなど求人メディアを中心とし、地方の中小企業の採用課題を聞いて広告を提案することを10年ほど行っていました。その殆どを地方の支店を転々としていましたね。

 

青森へは、どのタイミングで戻られたのでしょうか。

私には妹がいるのですが、妹も東京だったので父親一人に母は任せられないということと、育休中だったこともあり息子を連れて実家に帰る暮らしを始めました。

 

そして、母も手術をして抗がん剤治療を半年行い、日常を取り戻し始めましたが、ステージ4だったので完治はないと言われていまして。いつか再発するのではないかと怖かったので、また東京に帰ってリクルートに戻る気持ちにもなれず、そのまま復帰せずにやめて青森でフリーランスを始めようと決めました。なので、今も旦那は東京にいます。

 

色々なことに取り組まれていますが、一番興味を持たれているのはどんなことでしょうか。

私は、社外人事と名乗っているのですが、半分は社内の人、半分は社外の人というスタンスで求人原稿を作ったり、面接を一緒にしたり、採用した人のフォローなどをメインで行っています。

 

起業はされないのでしょうか。

起業にこだわりはなく、とはいえ、この2拠点の生活をいつまで続けるのかという問題もあります。このまま、宙に浮いたままでも良いのですが。

 

青森のインターンシップマッチングなど様々なソーシャルビジネス的取り組みをされていますね。 

フリーランスなので、「出来ますか?」と言われたら基本、「出来ます」と言っている状態です。ただ、今年は風呂敷を広げすぎたなという感覚はあるのですが。

 

インターンシップについては、県の事業を別の会社が受託して、司会の業務を私が受けているという構図です。ただ、青森の大学生は働くことに対してネガティブなイメージを持っていますし、なんとなく親が公務員になれというから目指すということもよくあります。そういう意味では、インターンシップは大事だと思っています。

 

最近一番嬉しかったことがあります。

 

こちらに帰ってきてから繋がった同世代のママ友のような友人が、転職するかフリーランスになるか迷っていたので相談に乗っていました。そして、最終的にフリーランスに決めたのですが、私の存在が勇気付けられたと言われ、それがすごく嬉しかったですね。私が誰かの背中を後押したり、勇気を与えているなら良かったなと思います。

 

青森での暮らしはいかがですか。 

今は、実家で父と母と息子と一緒に暮らしているので、とことん親に頼っています。私が、ほぼ晩御飯を作っている時期もありましたが、今は週に1回作れれば良い方です。

 

保育園のお迎えしてお願いしていますが、そうやって頼られることが生きがいになるのかなとも思っています。大変そうですし、いい加減にしろと言われますが、ごめんねと言える関係なのが良いですね。

 

今後のビジョンについて教えてください。 

この一年、本当に風呂敷を広げすぎた感があるので、来年は少し何をするのか的を絞りたいと思っています。

 

そして、絞りながら青森県の人手不足を解消したいですね。企業支援のナレッジとまではきませんが、私が持っている採用についての知見を伝え、社長の壁打ち相手になれるような人を増やしたいと思っています。

 

もっと育て、人に渡していくことを来年、再来年はしていきたいと考えています。

 

健康や美の秘訣について教えてください。 

それまで、本当に風邪もひかないし、リクルート時代にどれだけハードワークをして残業し、その後にお酒を飲みに行っても、次の日から頑張るということをやっていた自分を初めて後悔しましたね。

 

いかに、自分の体を雑に扱っていたことを認識して、それ以降はもっと体を労らなくてはいけない、お酒飲みすぎないようにしなくては、睡眠は大事など健康に関するアンテナは昔よりは立つようになりました。

 

外見の美も大事ですが、中身を磨き続けて中身で勝負したいなとずっと思っています。

 

青森県は短命県と言われてますが、女性、そして、主婦の視点から見てどうですか。 

本当に味の濃いものがみんな好きだなと思います。そして、東京の暮らしから戻ってきて感じるのは食材が豊かだなということです。

 

全然きちんと料理をしなくても、そのまま食べれば美味しいものがすごくあると思いますし、野菜も味がしっかりしているので、余計なことをせずにそのまま食べれば良いと思います。

 

あとは、車に乗りすぎですね。

一方で、自然が近いので、散歩するのは良いですよね。東京から戻ってきたので、このありがたみがよく分かります。

 

最後に、メッセージをお願いします。 

青森に帰ってきて、本当に良かったと思っています。東京で子育てと仕事を息苦しくしていた頃は、子育てしているときは仕事を犠牲にして、仕事をしているときは子育てを犠牲にしているところがありました。

 

青森に帰ってくると、まず時間の流れが違いましたし、親戚も近くにいるので心の余裕を持って仕事も子育ても頑張れている感じがします。

 

もっと、みんな帰ってきたら良いのにと思いますね。仕事もありますし、東京で磨いたスキルが一個あれば食べていけると思うので、もっと気軽に帰ってきて欲しいですね。

 

 

まとめ

小笠原さんのお話はいかがだったでしょうか?

お話を伺っていて、とても柔軟性の高い考え方で家庭と仕事の両立を図っておられるなと思いました。

 

また、夫婦間のコミュニケーションや価値観のすり合わせによって、このような2拠点生活も意外と悪くないなと思えるのも新しい感覚でした。

 

夫も大事な家族だし、気にはかけているけど、だからと言って夫婦がいつも一緒にいなくても別にいいんじゃないだろうかというコメントはとても新鮮な感じがしました。

 

小笠原さん、お忙しい中、お時間を頂戴し、誠にありがとうございました。

この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

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