メディカルはこだて 編集長 塚本敦志氏のインタビュー記事

最終更新日:2020年5月9日
メディカルはこだて
編集長
塚本 敦志

百貨店勤務を経て、2001年函館の医療・介護の季刊誌「メディカルはこだて」を創刊。

※塚本様は写真左側 (右側は筆者)

このたびは函館の医療情報に特化したメディアを長年に渡った運営されてきた編集長の塚本敦志氏にインタビューをさせて頂きました。

 

青森に特化した医療ポータルを作ろうと思った時にまず頭に浮かんだのが塚本編集長のメディア「メディカル函館」でした。

 

日本の中で、これだけ地域に密着したメディカルメディアは見たことがないですし、この小さな地域でもメディア運営をきちんとされています。ビジネスとしても回る仕組みがそこにあるということです。

 

そこで、大先輩に学ぶべく取材依頼をさせて頂いたところ、快諾して頂きました。暖冬の雪の少ない函館で色々と学ぶべきことの多い時間となりました。

 

ぜひご覧ください!

この仕事に取り組むようになったきっかけについて教えてください。

私は函館出身なのですが、大学を卒業した頃から百貨店に勤めようと考えていました。当時は、もう百貨店の時代ではないと言われていたのですが、私としてはまだいけると思っていたんです。

 

札幌の百貨店という選択肢もあったのですが、結局は、地元である函館で22歳から40歳になるまで百貨店勤務をしていました。残念ながら、そこは今年の1月で閉店となってしまったのですが。

入社した翌年には、郊外にイトーヨーカドーと長崎屋ができたため、業績が坂道を転がるように落ちていきました。それがわかっていたら、入社しなかったのにと今でも思うことがあります。

 

入社当時、三越と提携をしていたのですが、今度はダイエーと提携するなど激動の時代でした。

2年目にコンピューター室へ配属されたのですが、それが結果的には辞めるきっかけになりました。自社でプログラムを開発していたのでシステムエンジニアのような仕事で面白さもありましたが、飽きも感じていました。

 

かつては百貨店向けの雑誌があり、そこの編集長が椎名誠さんだったのですが、編集後記などがとても面白く、自分も同じように雑誌を作りたいと思ったのがこの仕事をするようになったきっかけです。

 

当初は、タウン誌を作ろうとしていたのですが、色々と調べて行くうちにどの媒体も長続きしていないことを知りました。そんな時、ちょうど新聞で介護保険やこれからの医療について頻繁に取り上げられるようになっていたこともあり、全くの畑違いではありますが、チャレンジしてみることにしました。

 

まず一年間は医療の勉強をしようということで、書店で一万円程度の医学書を購入してみたのですが、どれも全く理解ができなかったですね。

 

これまで大変だったことやご苦労などお聞かせいただけますでしょうか。

当時はお金もなかったので、人に記事を書いてもらうということができませんでした。原稿の執筆依頼をしてそれを載せるのであれば楽だったと思うのですが、報酬も払えないですし無理だとわかったので、新聞と同じように記者が取材してそれをまとめて紹介するという形にしました。

 

知識がないと医療者と話をすることができないので、事前勉強が大変でした。

 

医療関係者ではないからこそ、見えてくるものはありますか?

気が付いたことはいくつかありますが、ある時から患者様と呼ぶようになったことは相当な違和感でした。病院によっては、「様」をやめて「さん」で統一したところもありますが、介護施設などは利用者様と言っていますよね。

 

百貨店は必ずお客様と呼びますし、仮に、ホテルでお客さんと声をかけたら違和感があるように、その場にふさわしい言葉があると思っています。

やはり、患者様といったように「様」を付ける場合は歓迎の気持ちがあり、呼ばれる人もその場

 

所に来たくて来ていると思うのですが、医療とはその時点で違いますよね。
行きたくて行っている人はいないですし、二度と来たくないという思いの人もいるわけで、そのような人に「様」をつけるというのは違う気がしています。

 

また、薬剤師に対しても「先生」とつけることがありますが、それについても違和感を感じています。一般の人が先生と呼ぶのは、学校の先生と医師、歯科医師、弁護士です。それ以外の医療者を先生と呼ぶことはないはずなのに、自分たちから率先して先生とつけて呼んでいることが不思議ですよね。

 

ビジネスモデルとして確立するまで、かなり大変だったのではないでしょうか?

正直言うと、札幌で始めていればもっと楽だったと感じています。しかし、当時は拠点もお金もなかったので、とりあえずは函館でということで始めました。

 

最初は、物珍しさもあったようですね。今は、以前よりは売れていませんが、広告収入が増えています。

 

これだけ地域を限定し、医療に特化した内容を作れることは素晴らしいですよね。

今は、病院の医療者であれば病院を通じてやり取りをしていますし、断られることはほぼないですね。特に、急性期病院であれば尚更です。そのため、絶えず最新の治療が紹介できていると思います。

 

この26万人の都市では、がんを手術できる病院は限られていて6、7施設しかありません。しかし、実際は医療者だったら選ばないようなところで、患者は手術を受けています。

 

例えば、食道がんであれば北海道にダントツトップの施設があるのですが、函館にも名医と呼ばれる医師が2人ほどいます。でも、それ以外の病院を選んでしまう人もいるのです。

 

また、本来なら内視鏡の手術で対応できるにも関わらず、開腹して手術を行う病院もあるなど、まだ一人一人には伝わっていないのだと感じますね。

 

結局は、かかりつけのクリニックがどこを紹介するかで、かなり変わってくるのだと思います。
この媒体では、もう15、6年前にセカンドオピニオンについて取り上げ、当時から当たり前だという医師の声も載せていましたが、反対の声も多く寄せられました。

 

今ではセカンドオピニオンを否定される医師は少ないと思いますが、一人でも多く情報を伝えていきたいですね。

 

この雑誌は20年近く続いているそうですが、継続できたコツがあれば教えてください。

創刊して2号くらいで、取材した医師からメールやハガキ、手紙が届くようになりました。その中で、質を落とさないでほしいという言葉が一番きつかったですね。そのためには、適当にやらずしっかりと取材をして紹介しなくてはいけないと気が引き締まりました。

 

 

そういう激励もありましたし、医師が取材を嫌がるような雑誌にはしたくないと思っていました。そうなってくると、だんだん一般向けではなく医療者向けになってきたような気がしています。

 

そうは言っても、この雑誌は書店にも置いていますし、待合室で見たという問い合わせは20年経った今でもあります。

 

内容が濃いので、取材や編集が大変なのではないでしょうか?

取材内容を録音していたこともあるのですが、何度も聞き直すなど編集にものすごく時間がかかるので今はやめて、録音なしでメモを取るようにしています。

 

1時間の取材であれば5、6ページ書いて、それを箇条書きにしてからまとめていくというスタイルですね。他にライターがいるわけではないので、写真も含めて全て自分で行なっています。

 

今、世の中が紙媒体よりもインターネットやアプリになってきていますが、今後スタイルを変えていかれることはあるのでしょうか?

10年くらい前に考えたことはありますが、自分の年齢のこともあるのでこのままのスタイルでいこうと思っています。フェイスブックは最初の頃に登録しましたが、すぐに退会しました。

ブログだけはあるので、そこを通じて東京などから連絡がくることはあります。

 

医療という括りでは色々な施設やテーマが考えられますが、どのように取材を進めていらっしゃるのでしょうか?

最初は全く考えず、何も決めないところからスタートします。特集についても、どうしようかと走りながら考えますし、ページ数についても特には決めていません。

 

これが例えば、5、6人で取り組んでいたら事前に全部決めなくてはいけないと思うのですが、会議もないですし、思いついたら行くというスタンスで続けています。

 

紙媒体は、コスト面である程度の固定費がかかると思うのですが、そこについてはどうお考えでしょうか?

コストがかかるのでインターネットにという気持ちはありましたが、もう諦めて経費だと思うようにしています。人を雇うようなつもりで行っていますし、これが全てネットであれば医療者はここまで皆さん、協力的ではないとも感じています。

 

現在、月間で6,000部ほど発行していますが、なぜこの数になったかと言うと、病院で一度でも取材をした医療者には新しいものを毎回、送るようにしているからです。宛名を書いて郵送しているのですが、それも経費だと思ってケチらないようにしています。

 

知名度も上がりますし、医療者からは「いつも送ってくれてありがとう」という声もいただきます。

 

紙媒体自体の魅力も大きいですよね。新聞と違って繰り返し読んでもらえますし、待合室にずっと置いておくことができます。ただ以前、自分が載っている号だけをずっと待合室に置いていてボロボロになっているクリニックがあったので、取替えに行ったことはあります。それをさらにコピーして待合室に貼るところもあるなど、自由に使っていただいています。

 

最近はほとんどないですが、以前は製薬メーカーが名前を一切出さないで、薬の紹介を先生にしてもらいたいという依頼がありました。それを読む限り、誰も製薬メーカーが依頼しているとは思わないですよね。

 

これからのビジョンなどあれば、お聞かせください。

幸いなことに、取り上げたいテーマがたくさんあるので、そこには困らないだろうと思っています。また、来年になると新しいテーマも出てきそうですしね。

 

まとめ

取材の内容はいかがだったでしょうか?

私は仕事柄、様々な地方や地域に行くことが多いのですが、その時に「この地域は景気が悪いからうまくいかない」「市場がないのでやる価値がない」というコメントをよく聞きます。

 

でも、このような函館のような小さな地方都市でも思いを持って、愚直に取り組むときちんと事業として成り立ち、多くの人々の役に立つということが分かったのではないでしょうか?

 

私も「青森でそんなものを作っても意味ない」というコメントをもらっても、そんなことはない。一人でも命が救われたらそれでも大きな意味があると思って、今回の青森ドクターズネットを構築しました。

 

これから塚本編集長という大先輩の背中を追って、頑張っていきたいと思います。

 

お忙しい中、送迎と昼食までおごって頂き、取材の時間を作って頂いた塚本編集長にこの場をお借りし、心より御礼を申し上げます。

 

取材:青森ドクターズ編集長 池上文尋

参考サイト

「メディカルはこだて」編集長雑記
https://blog.goo.ne.jp/medihako

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