青森素材ヒット商品の仕掛け人 中小企業団体中央会の古川さんにインタビュー!!

最終更新日:2020年9月7日
中小企業団体中央会
弘前支所長
古川博志
さん
青森県中小企業団体中央会でNo1の黒にんにくマニア。
1975年岩手県花巻市生まれ。職場では存在感無い昼行燈。
”農”や”地域のための仕事”となると動きが急に機敏 になる、兼業農家の長男坊。
2012年、6次産業化ボランタリープランナーに任命(農林水産大臣)。
現在、弘前支所長として活躍中。

今回は青森に創業した時にサポートして頂いた中小企業団体中央会弘前支所長の古川博志氏に取材させて頂きました。

 

古川さんは知る人ぞ知る青森素材のヒット商品仕掛け人です。黒ニンニクをはじめ、青森の商材価値を高め続けている方です。

 

今回も無茶振りで取材をお願いしたのですが、快く受けて頂きました。予想通り、エキサイティングでためになるインタビューとなりました。

 

ぜひご覧くださいね。

 

今のお仕事を選ばれた理由を教えてください。 

就職活動の時にバイクやプラモデルを作る会社、そして、生まれ故郷の岩手県庁や花巻市役所を受けたのですが全て落ちてしまい、結局、先生が紹介してくれた今の職場に入ることとなりました。

 

そんな理由なので入りたくて入ったというよりも、ここだけしか受からなかったということになりますね。

 

・こちらでは、基本的に公務員のようなお仕事をされているのでしょうか。

 

そうですね。給料の半分は税金ですから、半官半民という扱いです。半分は中小企業からの会費で成り立っているので、商工会議所をイメージしていただけると分かりやすいかもしれません。

 

仕事内容について教えてください。

私が所属している中小企業団体中央会は、例えば、パン屋さんがあったとして、1社で小麦粉を仕入れるよりも1020社で仕入れたほうが当然安くなるという考えのもと、規模のメリットを追求し、同業者で協同組合を作って一緒に仕入れをしましょうというのが本来の目的です。

黒ニンニクの場合は、別々の仕事をしている人たち同士で集まって一緒に販売、宣伝していくという目的で協同組合を作りました。非常にマニアックな仕事ですので、一般の人からすると分かりにくいかもしれませんね。

 

大学では、どのような勉強をされていたのでしょうか。 

大学では、農学部に在籍していました。

入学当初は、りんごの剪定や土づくりといった農業実習に取り組んでいましたが、卒業するときには農業経済、いわゆる農業で商売をするという勉強にシフトしていました。

 

農学部から今の団体に入ったので畑違いではありましたが、いずれ、農業に関係することで誰かの役に立ちたいという思いはずっと持っていました。

 

大学では、どのような学生だったのでしょうか?

私は留年しているのですが、学校に行ったという記憶がほとんどありませんね。友達も学校へ行かない人ばかりだったので、みんなでバイクチームを作ってしょっちゅう北海道へ行くなど各地を転々としていました。

 

留年をして、親から仕送りが送られてこなくなった時にようやくマズいと感じ、「卒業しないと食べていけない」ということで、最後の一年だけは一生懸命に勉強していました。

 

実は、留年した仲間の方が出世していて、私より一年多く留年した友人は上場企業の取締役になっていますし、留年をして私と一緒の年に卒業した友人は北海道庁で上の役職についています。そういうものなのかもしれないですね。

 

企業や協同組合のアドバイザーやサポーターをされ、ヒット商品の仕掛け人となっていらっしゃいますが、これは仕事の行きがかり上でそうなったのでしょうか。

基本的にはそうですね。

もともと、ニンニクは秋に植えて一冬越して、6月から7月にかけて収穫し、乾燥後、−2℃の冷蔵庫に入れて保存します。凍らない程度の温度で芽が出ないようにしながら保存し、通年出荷をしていくのですが、それこそ15年ほど前は新しいニンニクを収穫して乾燥を終えると、冷蔵庫に空きスペースがないので去年の売り残しをトラックに積んで捨てに行っていました。

 

お尻が六角形になっているような規格品はすぐに売れていくので余らないのですが、欠けがあるなど形が歪で小さすぎるニンニクは加工用扱いで、1キロ300円でも買い手がつかないという時代がありました。

 

その頃、現在の協同組合青森県黒にんにく協会の会長をしている柏崎さんより、「ニンニクを捨てなくて済むような方法はないだろうか」という相談を受けていました。色々と模索する中、弘前大学元教授の佐々木先生が黒ニンニクでネズミの実験を行い、ガンが治ったという研究結果を発表されたことで「これなら絶対に余らなくて良いのではないか」という発想を持ったのが黒ニンニク誕生のきっかけです。それが20063月のことになります。

 

私たちは早速、佐々木先生なら黒ニンニクの作り方も知っているのではないかということで弘前大学へ「勉強会を開催したいので来てほしい」というお手紙を送りました。しかし、佐々木先生は退官されて盛岡へ引っ越されたばかりでお住まいが分からず、コンタクトを取るまでに時間がかかってしまいました。

 

ようやく、半年後の9月には連絡が取れたので、地元の企業を集めて勉強会を開催し、黒ニンニクのスタートを切ることができたのです。

 

勉強会を開催したものの、佐々木先生は黒ニンニクの効果はご存知でしたが、作り方は分からないとのことでした。そうは言っても、黒ニンニクは褐変反応(メイラード反応)によるものだと教えてくださったので、同じ農学部出身で食品加工に携わっている友人に相談したところ、加熱をすると早く活性化が進むということで、試行錯誤をしながらやっと黒ニンニクにたどり着いたのが20071月です。

 

最初に作った時は、石ころのような半分炭化している黒ニンニクができましたね。黒くはなったけれどもかたくて食べられないものばかりでした。

日本で黒ニンニクは健康食品として売られていますが、アメリカでは食材として使われていると伺いました。世界的にはどのような傾向があるのでしょうか。 

アジア圏は日本と同じで、11片食べましょうといった健康食品の括りで販売されることが多いですね。一方で、ヨーロッパやアメリカではこちらの戦略もありますが、その後広がりやすいということで三つ星レストランに入れてもらうなどしていました。特に、ミシュランガイドで取り上げられると一気に広まりますし、ヨーロッパでは割とソースなど調味料に使われることが多いのではないでしょうか。

 

ヨーロッパのシェフによると、白いお皿に黒い食材というのはすごく高級感があって興味深い食品のようです。トリュフの黒に近いのかもしれません。

私が食べたソースの中で一番美味しかったのは、黒ニンニクをペースト状に潰し、それにオリーブオイルとナッツを少し加えたソースです。焼くととても美味しく、印象に残っていますね。

 

日本でも広まって欲しいということで、毎年、9月に世界黒にんにくサミットを開いています。シェフの方に料理を振る舞っていただき、素人の方々が応募したレシピでコンテストを開くなど新しい黒ニンニクの楽しみ方を提案しています。

今年は、新型コロナウイルスの関係でサミットの開催が難しいのではないでしょうか。

今年も行う予定です。

新型コロナウイルスが十和田市で発生したため、医療従事者の方々に少しでも元気になってもらいたいという思いで、十和田市立中央病院へ黒ニンニクを無償で提供しています。また、東京や神奈川へも医療で頑張っていらっしゃる方々へ向けて合計で600キロ、500万円分ほど送りました。

 

そういう絡みもあり、いつも八戸で開催しているサミットを今年は十和田で行う予定です。ただし、いつものように華々しく海外のシェフを呼ぶことはしないのですが。

これまでは頑張って黒ニンニクの売り上げを伸ばしてきましたが、今は、皆さんが大変な時期でもあるので、何か貢献できないかと思いながら活動をしています。

 


今後、力を入れていきたいことがあれば教えてください。 

「あおもり藍」を広めていきたいと思っています。藍染と言うと植物のタデアイを発酵させて染料を作るのですが、あおもり藍はパウダー状にしたものを用いて独自の染め方を開発しているので、色落ちしにくいのが特徴です。

 

アパレル関係の仕事は派手ではありますが、思ったよりも売上げが伸びないこともあります。また、今年の流行色が青だと仕事が増えるのですが、その年の流行りの色が赤や黄色だと全く仕事がこない状態に陥ってしまいます。

 

やはり、波がある仕事ではなく、毎日食べられる仕事をしていこうと最近は、消臭・抗菌機能をもつ、あおもり藍スプレーを販売しています。これまではあまり売れていなかったのですが、今はコロナの関係で同月比7倍の売り上げがあり大ブレイク中です。

 

また、サージカルマスクを作って販売しているのですが、こちらは毎月、弘前大学で5万枚購入していただいています。一つの病院だけでそんなに買ってもらっていますので、大分売り上げも上がりましたね。

 

これを機会に、あおもり藍産業協同組合を地域産業にしていきたいですし、もっと普及させていきたいですよね。

ヒット商品の仕掛け人になるために気をつけていることがあれば教えてください。 

他の人が嫌がってやらない仕事をするようにしています。

敏腕でやり手だけど、会うと色々仕事を頼まれるから行きたくないと周りに思われている社長のもとへ行き、パパッと手伝ってあげるとまず、その人の商売がうまくいきますよね。

 

そうなると結局、青森の商品も売れて多かれ少なかれ波及効果が出ると思っています。その方の夢を実現するまで、とことん一緒にやるというのが私のスタンスです。

過去に手掛けてきた商品やサービスで、印象に残っているものがあれば教えてください。 

一つは、2016年にヒットした青い森の天然青色りんごジャムですね。もう一つはお野菜クレヨンです。こちらは社長の木村さんがmizuiro株式会社を立ち上げる前の個人事業主だった時に「インクを作りたい」とご相談があったので、補助金を活用して事業の後押しをしていました。

 

人件費がついている補助金だったので、ハローワークで募集をかけたところ、30歳前の女性の敏腕営業マンが入ってきたのです。彼女のおかげで売上げが上がったのですが、大手企業で営業に揉まれてやってきた人がこんなにも粘り強く、しっかりと伝えるべきことを伝えられるプロの営業マンなのだと印象に残っています。

 

青い森の天然青色りんごジャムは、全くこれまで商売をやったことのなく英語塾を経営している外国人の先生からの相談が始まりでした。当時はあまり知られていなかったButterfly Peaと呼ばれる植物を使っているのですが、アントシアニンがとても豊富で、花を乾燥させると真っ青で綺麗なお茶になります。その方は、青色を活用してジャムを作ってみたいという話をされていました。

 

青森には北関東のように大きな工場がないので、食品を加工できる場所がとても少なく、アイディアはあっても実現が難しい面もあります。しかし、こちらでは手伝ってくれる工場の場所や外注先、レシピを貸してくれる行政機関などを紹介できますし、製作から販売までのトータルサポートが可能です。

 

そうして出来たジャムを百貨店バイヤーさんのところへ持っていったところ、「これは海外の花だよね」と門前払いを喰らってしまいました。当時、中国産は良くないという風潮が強かったので相手にしてもらえなかったのですが、ある百貨店だけが「新しいチャレンジなので応援してみたい」と、3個だけ発注してくれたのです。

 

このジャムは作った時は真っ青なのですが、光を浴びていると真っ白になってしまいます。陳列中に白くなってしまうと困るので、商品は全て箱に入れて販売していました。

 

そのおかげで、ジャムの瓶自体には食品表示やコードが一切ついておらず、真っ青で撮影にも使えるということで、商品を購入してくれたアクセサリーショップの店長さんがTwitterにあげてくれたのです。なんと、その日だけで4万リツイートされ、翌日から百貨店の電話がガンガン鳴り始めました。

 

東京や大阪の女性から、「これは通販できますか?」「東京へ送って欲しい」という依頼が殺到し、次の日には600個の発注がありました。門前払いされた百貨店からも同じだけ発注したいという連絡があり、全部で6万瓶が面白いように売れました。当時、ジャムを取り扱っていた問屋は経営状況が苦しかったのですが、これを機にV字回復をしたことで結果的に、問屋のこともジャムが助けてくれたような形にもなりましたね。

  

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結構、ハードな仕事をされていると思いますが、健康管理はどのようにされているのでしょうか。

奥さんが作ってくれる料理をちゃんと食べて、寝る前に腕立て40回、腹筋40回、スクワット40回は欠かさずやるようにしています。

 

やはり、健全な発想や健全な計画は、健康な体から生まれると思っているので、健康維持には気を使っています。

 

機能性食品も扱っていらっしゃいますが、青森県の短命県返上の取り組みについて何か思うところがあれば教えてください。 

黒ニンニクの開発時から関わっている者からすると、県外の人から「健康食品をたくさん生み出しているのに、青森県は短命だよね」と言われることが、とても恥ずかしいですね。

 

そう言われてみると我が家でも、奥さんに黒ニンニクを食べさせられないという弱さがあります。黒ニンニクは決してまずくはないと思いますが、イメージが先行してなかなか食べてもらえない、匂いが気になるという人もいます。

 

今後は、それらを解消できるような開発を進めていこうと思っています。

これからのビジョンがあれば教えてください。

黒ニンニクは、これまで300円でも買い手が付かずに捨てられていたものに価値がつきました。結果的に、ニンニクを作っている量自体は変わっていない(青森県で毎年14,000t前後)のですが、売上げは100億前後から190億円まで増え、地域に還元することができました。

 

今後は、同じような形で青森県の方々に貢献できるような仕事をこれからもしていきたいと思っています。

 

まとめ

こんな凄い人でもお約束のおちゃめな過去があったり、実績を上げ続けている独自の考え方があったりと、私自身が取材しながら勉強になった今回のインタビューでした。

 

青森県はまだまだ明らかになっていないけど価値あるものがたくさんあると感じています。

それを掘り起こして、価値を高めていく古川さんの仕事の重要性はますます増えていきそうですね。

 

古川さん、お忙しい中、取材に応じて頂き、ありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 

関連サイト

中小企業団体中央会

http://jongara.net/

 

同サイト内の黒にんにくによる地域活性化の取組事例

http://jongara.net/96229jp

 

 

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