今回は人気の特集「めんこい日記」で弘前市でセレクトショップ「A.select」を経営されている佐藤秀子氏をインタビューさせて頂きました。
佐藤氏との出会いは本当に偶然のタイミングでした。
以前、こちらの記事にも登場して頂いたおやさいクレヨンの木村氏と蓮(ハチス)パン工房の中川氏とのランチをする予定が、青森フルールのメンバーも合流するとのことで、その場でお知り合いになりました。
青森フルールのメンバーはほとんど取材させて頂いているので佐藤さんにも受けてもらいたいなとお伝えしたところ、快くOKを頂戴しました。
それではインタビューの内容をご覧ください。
佐藤さんの学生時代のことを教えていただけますか。
学生時代は、部活に明け暮れていましたね。小中高を通して、卓球部に所属していました。
青森山田に行けたら、中国に行けたらと夢見ていましたがどちらもかないませんでした。
セレクトショップを経営されていますが、作ろうと思ったきっかけなど教えてください。
今年で独立してから12年目に入ります。
私の場合は、遠回りをしてここにたどり着きました。経緯をみなさんにお伝えすると、「いろいろなことをしてきたんだね」と言われますが、私としては経験してきたこと全てが今に繋がっていると思っています。
最初の就職は、バスガイドでした。将来何をやりたいかは漠然としか考えていなかったのですが、担任から「あなたは明るいから、バスガイドをしたら良いと思う」と言われたのがきっかけです。
地元ではなく、県外から地元を見る楽しさを知ることができましたね。実際に、青森県のことを教えてと言われても全く説明できなかった私が、外から見た時の青森県を知るきっかけもなりました。
実は、バスガイドをしていた頃から、本当は洋服屋になりたかったんです。洋服屋に立っている人を羨ましいと感じていました。
でも、洋服屋はせっかく給料をもらっても洋服代に消えるだろうし、すごく厳しい仕事だと思っていたので夢のまた夢でしたね。
そうこうしているうちに、呉服屋で募集がありました。着物にあこがれもありましたし、着物のモデルをして綺麗だね~と言われて、お金になるのならいいかなと安易な発想で繊維の世界に入りました。
当時は、企業が教育にお金をかけていた時代なので、学生時代やバスガイドの頃よりも人生で一番勉強になった期間でした。
呉服屋は6年在籍していました。着物は、昔の方は毎日当たり前に着ていたものなので、習うものではないと思っていました。なので、自分の目で覚えるよう努力し、自分で切ることはもちろん、人にも着せてあげることができるようになりました。
洋服屋になりたかったのに呉服屋に行ってしまったこともあり、悶々としながら結婚出産、子どもが3歳になったら、社会復帰したいと思っていた時に、同じ関連会社から「うちに来ないか」とお声がけいただきました。
やり方は同じなので、そこで7年間在籍しましたが、全国展開の会社である弘前店が撤退となってしまいました。その頃ちょうど、「パソコンくらいは使えないと」という風潮だったので、この失業はパソコンを勉強する良いチャンスと思い教室に通いました。
そうこうしているうちに、今度は撤退した店舗跡に「洋服屋が入るので店長としてやってみないか」とお声がけいただきました。新しい店舗で店長としてスタートできることは魅力的でしたし、その後はエリアマネージャーもさせていただきました。
その経験で分かったのは、自分は人を育成するタイプではなくプレーヤーでいたい、そして自分の目で選んだものだけをお客様に届けていきたいと退職することを決意しました。
その後、起業したいと思いながらも、一番の問題は、商材を揃えたり、場所を借りるのに、どれほどのお金が必要なのだろうと考えれば考えるほど、夢が遠ざかりました。
そんなある日、突然チャンスが巡ってきました。弘前市でチャレンジショップを募集していて、とても安い家賃で始めることができる企画でした。
今までの経験もあったので、少しだけ仕入れて売ったところ簡単に売ることができました。チャレンジショップで3週間がたった頃、「どうせやるなら正式なテナントとしてやってみないか」と言われて、本格的に始めることになりました。
本当に自然な流れで、お金もかけずに起業することができました。
お店を始めてからはいかがでしたか。
1年目は自分と近しい人達がご祝儀来店してくれましたが、2年目は地獄でした。この先、どうやったら周知して貰えるのだろうと思い、SNSを活用することはもちろん、 とにかく自分の目や感覚を信じて商品を仕入れ、お客様がワクワクする企画をすることで10年以上自分自身が楽しんでやってこれたという感じです。
パーソナルカラーや骨格の診断を取り入れたコーディネートを提供されていますね。
お客様に、長年の感覚だけで接するのではなく、なぜその服が似合うのかロジックを語れないといけないと思って始めた2017年は偶然にもパーソナルカラー診断のブーム再燃の年となり、実際に始めてみると、私がターゲットとしている40代以上ではなく、SNSを見た20代の子たちが来てくれるようになりました。残念ながら、その年代の目的はメイクやヘアカラー、そして服はネットでと言う感覚なので、実際に服の購入には繋がりにくいという課題はありますね。カラー診断を始めて5年になりますが、診断に来るお客様と洋服を購入するお客様は全く別です。
中には、お嬢さんと診断に来てお買い物して下さる方もいらっしゃいます。
婚活している人や彼氏、彼女を作りたい人にはマッチしているのではないでしょうか。
それはすごく思います。婚活に関しては、語りたいことがたくさんあります。男性はおしゃれをするということだけでハードルが高くなってしまいます。また、女性も診断結果に興味はあるけど、それを取り入れることができるかといったら難しいところではあります。
ただ、きっかけとしてはよいツールなので、婚活などを通じてマナーとして広めていけたらとも思っています。
あおもりフルールに参加して何年目になりますか。
2年目になります。昨年度は『先輩起業家に話を聞く』イベントで、登壇させて頂きました。
実際に、企業とつなげる専門家は別にいるので、私の場合は自分の経験談をお話させて頂くというポジションです。
青森の女性の起業は難しいと思いますが、いかがでしょうか。
私の場合は、やりにくさは感じていません。私の事業は、目的を持ってご来店される方が多いので、それはそれで良いのかなと思っています。とにかく間口を広げるのではなく、重いドアを開けて入って来て下さる方をお迎えする店でも良いのかなとも感じています。
青森の女性はもっと輝いていいと思いますが、いかがでしょうか。
私がお話しする方の年代が高いこともあると思いますが、青森はまだ考えが古い感じがします。母親が外で働き、家を空けることに罪悪感があるいう方が多いですね。例え生活に困っていなくても、〇〇さんの奥さんではなく、自分のやってみたいことにどんどん挑戦して自分の存在意義を感じられたら更に楽しいのにと思います。
健康管理や美容で気をつけていることはありますか。
よく寝ることですね。辛いとや悔しいことがあっても眠れるし、楽しかった日はより良い睡眠です。雇われていた頃は胃薬と頭痛薬は常にカバンに入っていましたが、独立してからは風邪ひとつひかないですね。ストレスがないってこんなに健康になるんだなと思いました。
朝は弱いのですが、起きてから1時間は布団の中で、今日の計画を整理します。そこで降りてくるアイディアにワクワクしてきて布団から出る感じです。
運動は本当に苦手ですね。歩数も、駐車場から歩く程度です。
今後のビジョンについて教えてください。
事業を始めると大きく展開したい方がほとんどだと思いますが、私の場合はこの1店舗が大切です。それに加えて外でもビジネスが繋がったら良いなと思っています。
ランチの後にショッピングという流れは少なくなりました。時代に合わせたやり方をしないといけないと考えています。
お客様が店舗に足を運ぶことも難しい時代です。ならば私が出向くというかたちも面白いのかなと思ったり。
今は、年齢層の高い方々のパーソナルカラー診断に課題を感じています。20代は診断の相場がわかっているのでここは安いと驚いていらっしゃいますが、年代が高くなると、有料で診断するのですかとおっしゃる方もいて、こちらが戸惑いますね。
セミナーや塾で伝えて行くこともしてみたいのですが、ブログで書くだけではなくそれを広げる方法を知らないですし、言語化して伝える時間がないですね。思いはありますが、形にできないのです。
読者の皆さまにメッセージをお願いします。
素敵な人と繋がりたいなら、まず自分自身が素敵にならないといけないと思っています。まずは、自分と向き合うことが大切かなと感じます。運がいい人は、やはり外見も内面もきちんと努力を重ねていると感じます。
まとめ
このシリーズの面白いところは活躍されている方に歴史ありということで、その経緯を一気にさかのぼれるところだと思います。
佐藤さんの場合も遠回りしたようで、実はすべて今につながって活かされているという言葉に集約されていると思いました。
パーソナルカラー診断は私も興味があるので受けてみようと思います。また、その結果はFBなどで紹介できればと思っております。
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