このたびはいやしのもりクリニックに勤務されながらも、色々と幅広く活躍されている井上比奈先生にインタビューをさせて頂きました。
八戸だけではなく、岩手県や函館までも仕事に行かれているパワフル女性医師です。今回、ご縁を頂き、お話を伺うことが出来ました。
先生のご経歴を拝見し、
なぜ薬剤師の学校から医学部に入られたのか?
沖縄におられたのになぜ急に寒い青森や岩手に勤務することになったのか?
など聞きたいことが色々とあり、興味深い取材となりました。
ぜひご覧ください!!
琉球大学医学部医学科卒業
救急専門医、内科認定医、産業医
目次
- ドクターになられたきっかけについて教えてください。
- 沖縄の先生が急に、青森へいらっしゃることは珍しいと思うのですが、そのきっかけがあれば教えてください。
- 琉球大学時代は、どのような研究をされていたのでしょうか?
- 現在、ご勤務されていらっしゃるクリニックについて、お聞かせいただけますでしょうか?
- 沖縄と比べて青森の県民性や健康への意識について、どうお感じになられていらっしゃいますか?
- 新型コロナウイルスの関係で、オンライン診療が解禁になるなど医療の分野で変化がありましたね。
- 今後、医療の未来は変わっていくと思いますか?
- ご自身の健康管理や癒しについてお聞かせください。
- 最後に、青森の方々に向けたメッセージをお願いします。
- まとめ
ドクターになられたきっかけについて教えてください。
元々、私は神戸の出身なのですが、母親がずっと薬剤師になって欲しいという希望を抱いていました。
私自身は、高校時代に椎間板ヘルニアになって50日間学校を休んだ時にお世話になったこともあり、リハビリの先生になりたいと思っていました。当時の担任は、医者になった方が良いと勧めてくれましたが、初年度は母親の言う通りに薬学部を受けることにしました。
薬学部に進学してからも医者になりたいという気持ちは捨てきれずにいたのですが、そんな時に阪神淡路大震災が起こりました。私が通っていた学校は神戸市東灘区にありましたし、六甲にあった祖母の家から通っていたこともあり、結構な被害を目の当たりにしました。
家が潰れている様子や、その中に生きているであろう人たち。地震の後なので火災も発生していました。亡くなった同級生もいる中、私は、学校も休みになったので母校である高校にボランティアへ行くことにしました。
そこでは、朝の5 時頃から食料品を積んだトラックが来るので、まず積み下ろしをし、3,000人ほどの避難民の方々に配り歩いたり、掃除をしたりして過ごしていました。当時は学生だったので、特別なことは何もさせることができなかったんですよね。
仮設トイレ掃除や声かけ、炊き出しなどをしていましたが、このままでは悔しいと思いましたし、こんなことで一生を終わりたくないと思いまして。また、当時、お付き合いをしていた方が医学部生だったこともあり、やはり医者を目指そうと勉強を始めました。
本当は神戸に残りたい気持ちがあったのですが、父からはどこの医学部に入ったとしても医師免許を取れば同じだから好きなところにした方が良いと言われましたし、私の得意な科目を考え、琉球大学を受験することにしました。
入学してからはずっと、救急医になりたい、良いお医者さんになりたいとの想いから、昨年までの24年間ずっと沖縄に残っていましたね。
沖縄の先生が急に、青森へいらっしゃることは珍しいと思うのですが、そのきっかけがあれば教えてください。
皆さん、そこに驚かれるのですが、実は学生の時にお付き合いしていた上田先生がこちらにいらっしゃったというのが大きいですね。学生の時は、私の優柔不断もあり2、3か月程度で終わってしまったのですが、あろうことか2 年前に偶然、再会をしてしまいまして。
私が青森に来る形で遠距離恋愛をしていたのですが、それでは長く続けることは難しいということでこちらへ来ることになりました。
琉球大学時代は、どのような研究をされていたのでしょうか?
琉球大学でのゼミでは法医学を選びました。生きている人ももちろん大事ですが、当時はそういうことに興味があり、法医学の教室に在籍していました。前の薬学部では放射線医学の教室にいました。菌をカウントしたり、放射線をあてるなどしていましたね。
現在、ご勤務されていらっしゃるクリニックについて、お聞かせいただけますでしょうか?
実は、ここ3か月はいやしのもりクリニックには一切、出勤していません。上田先生お一人でまわるようになってきたので、私は今のところ給与計算のダブルチェックだけですね。
それ以外では、産業医や医療センター、特養へ出向いています。また、本当は月に一度、沖縄へ行って麻酔をかける仕事も入っていたのですが、今はコロナの影響で難しいですし、動くべきではないですよね。
こちらへ来て良かったと思っていることの一つに、レセプト請求のような今まで携わったことがない事柄を経験できたことです。大変なこともありましたがこれも糧となりますし、色々なことで医療が作られているのだとわかりました。
私たちの診療行為をお金にすることも大事ですし、何も知らないからと他人に丸投げは危険ですよね。ある程度は自分も仕組みを理解するようにしています。特に、2 年に一度の診療報酬改定ではアンテナを張って勉強会にも参加し、一度、自分の中に入れて咀嚼して還元することも大切だと感じています。
沖縄と比べて青森の県民性や健康への意識について、どうお感じになられていらっしゃいますか?
寒さも関係していると思いますが、喫煙率が高いですし塩分の摂取量も多いですよね。インスタントラーメンの消費量も高く、おやつに食べることもあると聞いています。
土地柄もあって、お漬物など保存食が多いのも気になりますね。
新型コロナウイルスの関係で、オンライン診療が解禁になるなど医療の分野で変化がありましたね。
同級生もオンライン診療を率先してやっていますが、私は慣れている患者さん以外はドクターと患者さんの二人だけでは診察が難しいと考えています。一方で、患者さんのところへ看護師が出向くことで、質の良いオンライン診療ができると考えています。
例えば、バイタル一つとっても、患者さん一人で血圧を測れる方は半分くらいで、高齢だと余計難しくなってしまいます。また、難聴もあったり胸の音も直接聴くことができないので、ベテランの看護師がいてくれれば、喘息の音や浮腫みなどを知ることもできます。
私の場合は救急医でしたので救急になぞらえると分かりやすいのですが、救急隊がそもそも同じ役割を果たしていますよね。私たちの目となり足となって患者さんの情報を見てきてくれているので、オンライン診療についても救急ほど緊急ではありませんが、看護師が果たす役割は大きいと思っています。
今後、医療の未来は変わっていくと思いますか?
そうですね。オンライン診療が進み、訪問診療の分野が伸びるなどの変化はあると思います。
また、現状では元気な人も専門外来に来ているので、そのような方は出来るだけかかりつけ医で受診していただき、本当に必要な方が大きい病院へ行けるような環境づくりも必要ではないでしょうか。
ご自身の健康管理や癒しについてお聞かせください。
沖縄では毎日、運動をしていました。お昼ごはんの後に約45分、ジムへ行って筋トレをし、インストラクターと一緒に体を動かしてから3時間30分診療をする。
そして、さらに時間があれば夜もジムへ行くという生活をしていました。こちらにはジムも近くにはありますが、コロナの関係で行きにくいので解約してしまいました。
最近では、ジムへ行く代わりに自宅でトーニングをしています。ウォーキングも。器具がなくてもトーレニングはできますからね。そして、睡眠時間を取り、しっかりと食べて寝る。それにプラスして、瞑想や運動も効果的だと思います。
最後に、青森の方々に向けたメッセージをお願いします。
新型コロナウイルスが流行っている現状においては、常備薬を是非持っておいていただきたいですね。そして、しっかりごはんを食べて寝ていれば、多少の熱は怖くないので、もうしばらくはお家での時間を有意義にお過ごしください。
それでも心配な場合は電話相談を受けてもいいですし、かかりつけ医に相談してもいいと思います。不安を解消しながら、基本となる食う寝る遊ぶが出来ていれば、大人も子供も大丈夫です。
今は、皆んなが不安な時期なので、一緒に乗り切っていきましょう。
まとめ
インタビュー当日は岩手の勤務が終了し、移動して、八戸に着いた直後にさせて頂きました。忙しいタイミングかつ、体調のあまり良くない状況での取材となりました。そんな中で、井上先生の熱い語り口に感動した池上でした。
冒頭の写真の通り、おちゃめな先生でもあります。
青森ドクターズネットでは井上先生のような女性医師の先生方のお話もどんどん伺って行こうと思っております。
井上先生、お忙しい中、インタビューに答えて頂き、ありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。