青森ドクターズネット編集長の池上です。
以前、弘前大学の横山教授の取材の中で、青森県では妊産婦に対する医療機関が少なく、なおかつ母子へのケアが不足している状況にあると話されておりました。
特に、出産後の大変な体を産後ケアとしてサポートしてくれる施設はほぼ見当たりません。
今回のめんこい日記では、「妊娠中のサポート、産後のサポートが出来る産前産後ケアハウスを青森県に作りたい」という同じ想いを持った青森県出身の二人の女性に取材いたしました。
それは、一体どういったものなのか。とても気になりますね。
それでは、まず一人目の青森県弘前市出身の猪鼻唯与氏に話を伺ってみましょう。
目次
自己紹介をお願いします。
出身は青森県弘前市で、高校卒業後に神奈川県へ上京し、短期大学へ入学。
栄養士と食品衛生管理者の資格を取得しました。
その後は、埼玉県の大学へ編入し、フードコーディネーターの資格を取得。当時大学3年生の時、「青森の黒にんにく」を研究対象として、青森県の地域活性化・健康増進をテーマに卒業論文に励んでおりました。
そのときに、青森県中小企業団体中央会の古川博志さんには大変お世話になり、黒にんにく研究者である佐々木甚一先生にも免疫物質の効能や学術的な知識のアドバイスをたくさんいただき、お2人には親戚の娘のように可愛がっていただいたことを、今も、ものすごく思い出深い記憶があります。
私が学生の時に初めて「社会」というものに挑戦をさせていただいたのも協同組合青森県黒にんにく協会主催の“世界黒にんにくサミット”や”世界黒にんにく料理コンテスト”があったからでした。
個人的に参加をして料理コンテストでプレゼンをさせていただいたり、私自身の独特な感性を磨かせていただいた経験でもありました。
古川さんとは、「卒業後も社会人となったら、いつか一緒に仕事ができるといいですね」
なんて話をしながら、私は大学を卒業しました。
大学卒業後は、東京の出版社に就職をしました。配属先の部署では、日本本土から離島までさまざまな場所へ出張をして、全国の農畜産物を使用した料理イベントや料理コンテストを企画・運営。
食育をメインとする絵本セミナーや講座の企画・運営。
規模で言うと、料理イベントは地元の方を100〜200名呼び開催したり、料理コンテストでは全国から700〜800点ほど集まります。絵本セミナーでは最近のオンライン化が普及したおかげで全国参加が可能となり、1000名以上が集まった会もありました。
私の仕事は、これらをとりまとめて企画から予算立て、スケジュール管理、講師派遣から備品の調達、当日の運営までの2〜3ヶ月間を担当します。
まさしく、「企画のプロ」に成らざるを得ないほど。凄まじい勢いで1ヶ月にこれが4〜5件入ってくるので残業は毎日でしたね。
講師の先生も、テレビや雑誌で活躍されている料理研究家の方々やベストセラー作家の先生など大御所の方が多かったので気も遣うことも多く、ビジネスマナーや言葉遣い、接待などにはかなり体を酷使させました。
しかし、そうこうしているうちに社会人2年目で結婚をして2020年5月に初めての出産を経験しました。
そこからが、第二の人生のはじまりでした。
人生の大きな節目にあったんです。
なぜ、産前産後サポートに関する事業をなぜやろうと思ったのでしょうか。
ちょうど2年前の2020年2月に新型コロナウイルスが世界へ蔓延して大ニュースになりましたよね。
私は3ヶ月後の5月に出産予定でしたので、今までに感じたことのない脅威と不安に怯えながら出産を迎えることになったんです。
4月には日本で初めての「緊急事態宣言」が発令され、立ち会い出産や面会が全て禁止になってしまい、実家から母も埼玉へ来れなくなりました。
私がコロナに罹患したら帝王切開になる恐れや、買ってきたものも除菌し、とにかく人との接触はしないこと。毎日報道されているニュースで見ていて、とても怖くなっていきました。
こんなふうに、不安に思っている妊婦さんは一体何人いるの?と漠然と考えていましたし、みんなで不安な気持ちを共有したいのにできないことに、悶々とした気持ちもありました。
それと同時に、わたしがお腹の子供を守らなくてはならないという気持ちも強くなり、実家から母が来れない、夫の両親は事情があり既に居ない状況の中で、夫とたった2人でどうやって退院後の生活を送ったら良いか考えなくていけませんでした。
出産したとき、テレビ電話で夫に連絡をしました。
そのとき、やっぱりすぐには抱っこさせてあげられなかったことが、今でも心残り。産後5日目に退院をして、やっと赤ちゃんを夫に会わせてあげられた時の感動はすごく忘れられないですね。
初めて抱っこをして、小さな小さな命を可愛いと言っている夫が今でも、すごく、鮮明に覚えています。
夫は私より10個以上、歳は離れていますが、それでも、パパになるのは初めてです。
お互い、0歳児同士で育児がスタートしました。
不安いっぱいのスタートを切った育児ですが、それを大きく救ってくれたのが、病院に併設された「産後ケアハウス」の存在でした。24時間体制で、2泊3日。
助産師さんがオムツ替えからミルクのあげ方、ゲップのさせ方、沐浴や母乳相談まで全て教えてくれました。美味しいご飯やおやつまで、至れり尽くせりで母乳もどんどん出ていました。
夫は覚えることが多すぎて、最初はパニックになっていましたが、これからは毎日やらなければならないからと顔を真っ赤にしながらも、一生懸命に覚えてくれましたね。
実は、1日目の夜私が突然に夜中に号泣してしまって、その理由は、母乳で育てたい気持ちはあるけれど、夫婦2人で育てるには夫にも頑張ってもらいたいので、ミルクも使いたい。
でも、教えてくださる助産師さんによっては、母乳育児を推奨する人もいれば、混合でいいと言う人もいて、考えが違って混乱してしまったんです。
夜間に気持ちが治らずに泣いていたら夜勤担当の助産師さんが来てくれて、その気持ちをお伝えしました。
すると、「赤ちゃんはね、ママの気持ちがよく分かってるの。だから、ママがやりたいように、ママのペースでやっていいんだよ。どれが良い方法ってことは無いからね。自分らしくやったら良いよ。」と言ってくれて、その助産師さんの言葉に救われたのは本当に有り難かったですね。
産後ケアハウスは息子が一歳になるまで通うことができて、初産のママさんや同じ月齢の赤ちゃんにも会うことができるので、初めてのコロナ規制の生活の中では、とても心が救われました。
夫も私が産後ケアに行った日は明るく話してくれていると感じたようです。
スタッフの方々も、手厚いサポートが素晴らしくて、心が癒されて、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
私の母も、本当は助けに行きたかったけど、夫婦2人で1番大変な産褥期で新生児期を乗り越えたことは、これは本当にすごいことだ、と言ってくれました。
生後1ヶ月経って、私が息子を連れて青森県へ帰った時は、「本当は助けて欲しくてたまらなかった。」と号泣してしまったのも、覚えてます。心が張り詰めていたんだなと実感しました。
特に、新生児1ヶ月間は、コロナ禍だったので誰にも会えず戸惑い、不安、精神的にギリギリの状態で子どもと向き合うことの辛さを感じたり、1対1で過ごすことが怖くなったりもしました。
そんなときでも、産後ケアハウスは私たち夫婦を救ってくれたんです。
大人と話せる場所を作ってくれた。他の赤ちゃんと交流させてくれた。そして、ママとパパにしてくれた。
わたしも、こんな素晴らしい存在を創りたいなぁと思うようになりました。
ママやパパがこうやって初めての育児でも戸惑いながらも、赤ちゃんと共に思い出を作って行ける場所がどこの地域でもあったらいいのになぁと、考えるようになりました。
そして、産前のマタニティ期のご夫婦も気軽に来れるような環境も一緒となって妊娠中のマイナートラブルや、不妊治療、お腹でサヨナラしてしまった過去だったり、人には相談しづらい悩みも、少しでも同じ境遇の方々と出会えるきっかけとなる場所が同じところにあって、それが産前産後ケアハウスとなっていったらとても素敵だなぁと。
地元青森県からスタートして、全国へどんどん広がっていけたら素晴らしいことだなぁと思うようになりました。
今、取り組もうとしていることを具体的に教えていただけますか。
これから取り組もうとしていることは産前産後ケア事業と子育て支援事業の2つをメインとして事業をすすめていこうと考えています。
産前産後ケア事業では、産前産後ケアハウスを作ることが1つの目標です。
私がお世話になったようなサポート内容で、なおかつ価格を低め、利用者がシングルマザーでも、シングルファーザーでも利用できるようにしたいと思っています。
赤ちゃんを一時的に預けられるような託児室を設けて束の間の夫婦の時間を過ごしたり、
そして、赤ちゃんを迎えに行った時、また家族笑顔でお家に帰れるような穏やかで温かい産前産後ケアハウスを作りたいですね。
もう1つの、子育て支援事業では、親と子が笑顔で楽しめるイベントを作っていきたいと考えてます。
今まで、いろいろな企画を担当してきましたが、今度はママとパパ、子ども達がどんなことを求めているのかを考えながら子育てイベントを作っていきたいですね。
ぜひ、一緒にコラボイベントを開いてみたい方々はお声がけお待ちしてます。
企画から開催まで一連の流れは私にお任せください!
今後の予定について教えてください。
実はご縁があり、青森県内で産前産後ケアハウスを作りたい!という同じ志の方が数名手を挙げてくれております。その方々とは、今後一緒の目的を持って力を合わせて青森県に産前産後ケアハウスを設立できるように、これからも繋がりを大事にしていきたいと思っております。
そして、現在ひろさきビジネス支援センターの弘前支長となった古川博志さんとも
7年ぶりに連絡を取り合うようになり、私の熱意をお伝えしたところ、また青森県に新しい風を巻き起こす「何か」が近年のうちに、ご報告できる日が来そうです。
2023年は、挑戦する年。今回の事業に関しては、かなり私も本腰です。5年先、10年先も続く事業として、基盤を固めて、行政や医療関係、企業関係と共に作り上げていきたいですね。
現在28歳、4年後の32歳までに人生を変えます。2027年までが勝負だと思っています。
私自身も子供がこれから増えるかもしれないので、今自分が取り組んでいる事業で自分を助けることができ、さらに、ママさんパパさんも助けられるような形を作る事が理想です。安心して頼めて、心を許していける仲間がいるところに自分の子供もケアして欲しいですね。
最後に、伝えておきたいことはありますか。
青森は、自然も農産物も人も素晴らしいところです。私は、18歳までここに住んでいたので、慣れ過ぎていてわかりませんでした。でも、東京に上京して、電車に乗っている人たちを見ると、すごく寂しい世界に飛び込んでしまったと感じました。
青森に帰ると、「おかえり」と言ってくれる人たちがたくさんいて、自分が育ってきた場所があります。この環境がどれだけ素晴らしいか再確認して、今後は青森へのUターンや、子育て支援、少子化対策に繋がる事業も広めていきたいなと考えています。
まとめ
ご自身の経験を基に産前産後ケアハウスの重要性を感じ、それを故郷の青森県で作れないかと考えられている点が素晴らしいなと思いました。
困っている人をどのようにサポートしていくのかというマインドは医療分野において最もモチベーションの高い理由になります。
我々はもちろんのこと、行政や医療関係者の皆さんも一緒になって、ママとパパ、赤ちゃんをサポート出来るようにしたいですね。
また、進捗を取材させてもらいたいと思います。
また、今回の取材にあたり、ひろさきビジネス支援センターの古川さんには色々とご尽力頂きましたこと、この場を借りて御礼申し上げます。
●関連サイト
弘前ビジネス支援センター
猪鼻唯与さんインスタグラム
https://instagram.com/iyonoha_stylegram?igshid=YmMyMTA2M2Y=
協同組合青県黒にんにく協会