青森は最高だ!~青森に関わることになったきっかけとは?(編集長自己紹介パート1)
青森出身ではない私が客観的に外から見て、青森の素晴らしさを書く方が説得力あるのではと思いたち、今回のコラムを書くことにしました。
ぼちぼちと青森の医療やヘルスケアの話も書いていきますし、「池上とは何者ぞ」「どんなことを考えているんだ!」みたいなことも書いていきたいと思います。
私のこのサイトの最大の目的は青森に飲める友人を100人作ることです。特に医療機関の人ならうれしい限りです。(実は今までもこの目標でビジネスを行ってきているので、まったくぶれていません)
コロナ時代でしばらくは飲み会というものが減るとは思いますが、色々な形で素敵な方が方とつながることが人生の喜びと言えます。まだ見ぬ友人達とまみえる時を夢見て、コラムを書き続けたいと思います。
第一話 青森との関わり
こんにちは、編集長の池上文尋です。
年齢は53歳、知らぬ間に結構なおじさんになってしまいました。
私の出身は京都市。日本の古都です。
東京の人が唯一田舎者と言えないブランド都市でもあります。
高校卒業まで京都を出たことのない人間が、大学進学で神奈川に1年住み、2年目からの専門課程で十和田市に来たのが19歳の年でした。今から34年前の話です。
神奈川の下宿先は相模原市の郊外で学生と地元民しかいないような小さな町で、十和田に来たら、大学と下宿先は徒歩1分という狭い範囲で学生生活を謳歌していました。
皆さんもご存知の通り、十和田市は人も少ないし、こじんまりとした静かでいい街です。そんな中でアルバイトと空手に明け暮れていた学生時代でした。
大学は北里大学の獣医学部でブタの研究をしていました。アルバイトは川村養豚という巨大な養豚場でブタの世話をしていました。
学校に行って、講義を受け、空手の練習をして、休日は養豚場でアルバイトというのが十和田での生活の基本形でした。
でも、京都を出たことのない私としては経験するすべてが楽しくて、たまに友達たちと行く十和田湖や奥入瀬渓流も素晴らしいと思いましたし、日常でも様々な動物と接することが出来て、充実した日々を送っていました。また、空手でも青森県の国体強化選手に選ばれるほど強くなっていました。
無事、大学を卒業後、外資系の製薬企業に勤務することになりました。そこで、勤務地の希望を聞かれたので、迷わず人事部の方に「青森でお願いします」と言いました。それは、その会社では前代未聞のことだったそうです。
関西の出身者が多い会社でしたので、東京や大阪近辺に勤務したいという新人がほとんどだったからです。
その当時の営業本部長面接で「100%希望を叶えてあげる」ということで、希望の青森勤務となったのです。
その当時、青森営業所はショッピングモール「サンロード」の前の東和ビル内にありました。(今は取り壊されてなくなっています。)そして、自分の住まいはサンロードの横のマンション「サンハイツ青森」で営業所まではやはり徒歩1分というアクセスの良さの中で仕事をさせて頂きました。
社会人になった私は弘前と南津軽郡の担当となり、大学時代に住んでいた南部ではなく津軽で仕事をすることになりました。製薬企業のMRという仕事ですので、病院やクリニックを訪問し、自社の薬剤をプロモーションします。
その当時はバブル絶頂期で、先生もスタッフもそして製薬業界も華々しい時代だったと思います。仕事をするというより、毎晩のように飲みに出かけた思い出しかありません(笑)
2年目に青森市、3年目にはそれにプラスしてむつの担当が追加されました。
仕事で青森県の広い地域を車で走っているだけで気分は爽快でした。清涼でいい空気だし、
春になれば目に焼き付くような緑、暑くない夏、素晴らしい紅葉、そして信じられないぐらい降る雪、どれも20代前半の若い感性には忘れられない素敵な思い出として残っています。
3年間、製薬企業に勤務後、MRの時に大変お世話になった尊敬する院長のクリニックに転職することになりました。事務長という肩書まで頂いて、勤務したのはいいのですが、医療事務や医療経営について何も知らない若手MRが務まるほど甘いものではありませんでした。
その当時は自分なりに頑張ったつもりですが、自分のダメさ加減に、徐々に消耗してしてしまい、2年弱で退職することになりました。(体調を壊して動けなくなってしまった)
今でもその時にご迷惑をおかけしたことはブラック歴史として自分の中にありますし、申し訳ないなと思い続けている次第です。
しかし、そんな若い時代の青森での様々な経験が、血となり肉となり、今に至っています。
青森を失意のうちに離れたのが27歳の時、その時に時間はかかっても必ず再び大好きな青森で起業したいという思いがありました。そして、24年後にミライテコとしてそれが叶ったという訳です。
ここまで話をすると「青森を離れてから何をやっていたんだ?」と気になりますよね。
それは次回のお楽しみということで。
執筆:青森ドクターズネット 池上文尋